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社長の告白「人生捨てたもんじゃない」

1吉塚の町で生まれ、育ちました。
はじめまして。豊自動車の代表取締役をしています、小島常良と申します。
吉塚の町で生まれ、小学校は吉塚小から東吉塚小、吉塚中学校と一貫して吉塚の町で育ちました。
小学校の時から車の整備に凄く憧れていました。
家は農家で生活はだいぶん貧しかった?そんな5人姉妹弟の長男です。到底上の学校には行けないと思い、父親にせめて好きな「自動車整備のできる専門学校に行かせてほしい!そのあとは自分で道は開きます。」とお願いし、その通りの道に進みました。将来は車屋さんになろうと思っていました。
車の専門学校を卒業し、少し大きな三菱系列の民間工場に勤めました。そこの社長から面接の時、いきなり「君は将来何になりたいのか?」と聴かれ、私は「将来、整備工場の社長になりたい!」と応えてしまいました。そこの社長はその事を覚えてくれていたのです。私を整備の現場からフロント、営業と、独立できるようにして頂いてくれていたのです。
2私のエピソード
少し私のエピソードを聞いてください。
営業になり、帰社はいつも夜遅くなっていました。毎日暗い部屋(事務所)で、なんだかわびしい気持ちになりながら、一人で営業日報を書くのがいつしか日課のようになってしまい、営業から帰るたびに、「なんで自分だけがこんな暗い事務所で日報を書いているんだ・・・」と、寂しい気持ちになってしまい、だんだんといたたまれなくなったこともありました。
3僻み心に、思いもかけない一言で気付く。
ある日のことです。その日も帰社時間が夜遅くなってしまって、一人で日報を書いていました。そんな私のことを気にかけていただいた登録業務のおじさんから、あくる日に声を掛けていただきました。
「小島君、遅く帰ってきた自分が、自分ばっかり・・・と思っていないか?」と言われたのです。
「どうして分かるんですか?」と聞き返したら、「顔を見れば分かるさ・・・」と、このときの私はよっぽど悲壮感のある雰囲気だったのでしょうね。そのおじさんから、「小島君の机の上を見てごらん。小島商店という看板が見えないか?」、「もし、君が小島商店の経営者なら、そんな気持ちになったりはしないじゃないか?」私はこの言葉を聞いて、ハッとしました。自分だけが辛い思いをしていると思っていたのですが、これが自分の仕事だと思えば、辛いとか、寂しいなんて気持ちは起こらないんだと教えられたのです。
それからの私は、この気持ちを忘れないようにメモに書いて、営業カバンにいれました。
そして寂しい気持ちになるたびに、メモを読み返して自分を戒めていました。すると不思議なもので、どこか覚悟が決まっていくようで、どんなに遅くなっても寂しい気持ちになったりはしなくなりました。
4経験をいかして、妻と二人での起業。
私はこうした経験から、人を妬んだり(ねたんだり)、僻んだり(ひがんだり)すると、成長が著しく止まることを学びました。そのような経験を積みながら独立することになりました。
退職する際に、顧客リスト台帳すべてコピーすることなく前会社に残して退職。起業したばかりの「豊自動車」のことは誰も知りません。当初はウサギ小屋のような小さな事務所・工場で、すぐに食べていけるだけの余裕もなかったものですから、裏のたんぼに稲を植えて、農業をしながら妻と二人での起業でした。
そんなある日の夕方のことです。妻と二人で稲の消毒をしていたら、工場の窓から、「オーイ!小島君!修理もってきたぞ!」と私を呼ぶ声が聞こえました。振り返ってみると、その方は、私が前職でお世話になった地域のお客様でした。
「ここでやっていたか、探したよ!」と、私のことを探して来てくださったのです。このお客様がきっかけで、年々お客様が増えていき、今現在に至っておるわけです。
5地域の方々に、お礼と感謝の言葉。
おこがましいのですが、今も地域のお客様から支えられての豊自動車があると、心から感謝を申し上げたいと思っています。
「今度は恩返しをしなければ!」と心から願っています。










